文豪/オノテツ

わけあってドフトエフスキーなんぞを読んでいる。
例の「光文社古典新訳文庫」というやつで、売れに売れた『カラマーゾフの兄弟』全5巻。
どうしても7月の上旬までに読み終えなければならず、とりあえず全巻買って読み始めてみたが、まだ1巻目の途中だ。
評判になった亀山郁夫先生の新訳はたしかに読みやすいが、それにしても長い。
長いうえに、書かれている内容がまたユルい。
読んだことのある人ならご存知と思うが、序盤に書かれているのは、兄貴がどこの女と別れてどこの女とくっついたなどといったゴシップねたばかりである。
多少はキリスト教の意義をめぐる宗教論争めいた部分も出てくるが、それもカラマーゾフ家のスキャンダルを紹介する文脈の中に唐突に差し挟まれているだけだから、神聖な議論というよりはるかに下世話なにおいがする。
あらゆる面において、トホホ感が満載なのである。
たぶんこの調子でエンディングまで低空飛行を続けるのだろう。


キリスト教、スキャンダル、トホホ感とくれば、敬愛するパゾリーニ監督の映画を思い出す。
違いといえば、映画の場合は途中で眠っていても勝手にストーリーが進んでいくが、小説は自分で読まないと進まない点である。
ときどき、半ば眠りながら読んでいることがあるが、結局筋を見失って元に戻るはめになる。
3歩進んで2歩下がるから、読破するのに365歩のマーチ級に時間がかかりそうだ。
そこでお願いだが、誰か我が家に来て、夜な夜な枕元で『カラマーゾフ』を朗読してくれないだろうか。
さぞかしよく眠れると思うし、それよりなにより、懸案の7月上旬までに全5巻読み通すことができる。
1石で2鳥を落とすことができるのだ。
ただ、ひとつ気がかりなのは、そんな物語を聞きながら眠ったらいったいどんな夢を見るのかということ。
さぞかし淫靡で猥雑な夢を見るにちがいない。
そのことを考えると、ワクワクして夜も眠れなくなりそうである。