死神博士の死/コジマ

20年以上使っていた、ローランドのTR-505(リズムマシン)がとうとう壊れた。
随分前から調子悪くてシンバル系の音が出なかったり、ACアダプタの接触が悪かったりはしてはいたのだが、とうとう電源すら入らなくなってしまった。
こうなったらもうお手上げである。

このマシンは、俺が高校時代に地元で組んだ最初のバンドから使ってきた代物で、最初のオーナーはその相方だったmidorikawaさんだった。
当時もご多分に漏れずドラマー不足であり、生身のドラマーが居なかった俺達のバンドの初代ドラマーがこいつだった。
バンド名は2転3転したが、最終的に「死神博士とまじない精神外科」に落ち着いた。
その「死神博士」がこのTR−505だった。いわば「内山田ヒロシとクールファイブ」の「内山田ヒロシ」部分がこいつである(そういえば内山田ヒロシも亡くなったらしいね。嗚呼)。
当時はニューウェイヴやオルタナティヴ(80年代的意味のね。その後のオルタナロックじゃない奴ね)系のバンドではリズムマシンを使っているバンドが多く、のみならずマシンに名前を付けて、正式メンバーとしてクレジットするのが一寸流行っていた。
例えば、シスターズオブマーシーとかビックブラックとかエコー&ザ・バニーメンとか。
ビックブラックはフツーに「ローランド」とクレジットしていたが、シスターズは「ドクター・アバランチェ」と名付けていたし、エコバニのマシン「エコー」に至ってはバンド名にまで反映されていたのだ。
そう言えば、俺達のバンドも最初の名前は「和冦&ザ・バニーメン」通称ワコバニだったな。

死神博士は、俺達の誰よりも演奏が上手かった。
多少情緒に欠けるところがあったが、どんなドラマーでも敲けないビートを正確無比に演奏して、汗一つかかなかった。
そして情け容赦が無かった。
あまりのBPMに俺達がついていけなくなった時でも、決して俺達に歩み寄ろうとはしなかった。
奴は何時でも全力疾走だった。
運指とかデタラメだったが、当時の俺達のタイム感が結構マシだったのは死神博士のおかげである。

その後、上京する際に譲って貰ったのだ。
曲を作る時には絶対505が必要だった。
これより安くて音の良いマシンはなんぼでもあるのだが、とにかくプログラムしやすかったのだ。
今まで本当にありがとう505、いや死神博士
機械が壊れた位で感傷的すぎるかもしれないが、俺は本当に悲しいよ。


それにしても、これからどうやってデモテープ作ればいいんだろう。
R5(これにしたって化石みたいなもんだよな)を随分前に購入しているのだが、マニュアルが分厚くて読む気にならんのです。