不動産/コジマ

「多摩地区に新しいマンションが出来たので、そのご紹介でお電話致しました」
というセールスの電話有り。
「要りません」
と言うと、
「ああ、もう何処かに不動産をお持ちですか?」
等と言う。
「いえ、兎に角要りません」
「お客様位の年齢の方が、ご購入しやすいシステムになっているのですが・・・」
何処で調べたのか、俺の年齢まで知っているらしい。ちょっとムカッと来る。
「不要です」
「多摩地区では不動産のご購入は検討されてない、と言うことでしょうか?」
しつこい。
「あのねえ、多摩地区だろうが何処だろうが、兎に角欲しくないんですよ」
すると先方は心底不思議そうな感じでこう言った。
「それは、何故ですか?」
ぶちっ。
「うるせえな、要らねえって言ったら要らねえんだよ!マンション欲しくねえのがそんなに珍しいのか?アンタ何様のつもりだ?世間様か?大体なあ、アンタら不動産屋ってのはなあ・・・」
「失礼しました」
ガチャッ。
あっ、向こうから切りやがった!
最初っからガチャ切りすれば良かった。
むかついた。

色々なメディアによると、俺ぐらいの年齢が「不動産購入適齢期」らしい。
うるせえ。
何か、そういう「常識」をでっち上げて、クソ下らねえ「商品」を買わせようってのが見え見えである。

いや、マンションや不動産を購入している人は、それはそれで良い事だと思うのだ。 我が国は子供が居る世帯などには借家暮らしがしにくいシステムになっているし、一人暮らしの人でも、将来的な資産投資としてやっている人も居るのだろう。
中古の古い一軒家などを購入して、コツコツ自前でリフォームをしている友人などを見ると、何だか面白そうだなあ、俺もちょっとやってみてえなあ、とすら思う。

でも、人は人で俺は俺である。
要らないって言ったら要らないのだ。「何故」もクソも無い。
大体、来年の今頃喰えているかどうかも分からない人間が住宅ローンなんか組める訳が無いだろ。
しかし、俺なんかはわかりやすく「来年どうなっているか分からない」人間なのだが、世の中来年の保証が有る者など居ないと思う。
パオロ・マッツァリーノが「つっこみ力」(ちくま新書)に、平成10年頃の自殺の急増には「ゆとりローン」が関連しているのでは無いか、と言う仮説を書いていた。
住宅ローンなどと無縁の人生を送っていたので全然知らなかったが、「ゆとりローン」というのは平成5年頃に住宅金融公庫が大量に貸し出したローンで、最初の五年間は家賃並みの返済額なのだが、6年目から返済額が2倍近く跳ね上がるシステムだったらしい。5年後だったらそれなりに出世して収入も増えているという前提の元に作られたローンらしいが、そういうのを捕らぬ狸の皮算用と言う。案の定、6年目からの返済額倍増に耐えられず、生活苦に陥った脱落者が大量に自殺したのでは無いか、と言う。「ゆとりローン」平成12年に廃止された。
そして、これも知らなかったが、生命保険を住宅ローンの担保に当てるのは常識らしい。
わからん。
死ななきゃいけない程の責任が有るのか、住宅ローンって?
だったら要らねえよ、マジで。
金が余ってしょうが無い時にでもポーンと即金で買ってやるから、それまで電話して来んじゃねえ。