脱パソコンの時代/オノテツ

書いたつもりの日誌が反映されていなかったので、もう一度書こうかと思ったが、何を書いたか覚えていないから止めた。
更新ボタンを確かに押したはずなのだが、反映されていないということは押していなかったかもしれず、あるいはちょうど押すときにパソコンが隣の人とおしゃべりしてて気づいていなかったかもしれず、どちらのせいとも言いがたいのだが、常識的に判断して、パソコンはしょせん機械だから人間であるオレ様が正しい。
まったく機械というものは融通がきかない。
修理に出して無事に帰還した我がパソコンであるが、修理に出したがためにところどころでかえって不便なことになっている。
亡くしたデータは致し方ないとしても、元の通りに使えるようになるまでの諸々の作業を行わなければならず、鬱陶しいことこの上ない。
ウィンドウズからして再インストールしなければならないとは、機械の理からいえば当然のことかもしれぬが、使う側からすると許しがたい蛮行である。
使い手は作り手と違い、ハードとソフトの区別を意識しないものだ。
だからパソコンが直ったということは、そのまま種々のソフトも元通りに使えるものと思い込んでいる。
それをさせないパソコンというシロモノは、合理的ではあるがいかにも非合理で、早晩にも消滅すべき運命にあるといえよう。
ただ、パソコンという物体の消滅は、すなわちネットワークという監視網がより一層巧妙に進化することとウラハラなわけで、少しは憂慮すべき事態ではあるが、とはいえ人間の口と妄想を介した監視システムには到底及ばないだろうから、どうでもいいっちゃどうでもいい。
妄想の向かう先を、いかにヘナチョコですっとこどっこいな方向に導くかが大事で、その点パソコンはあまりに律儀でユーモアに欠けるから、やっぱり早いところビジネスや生活の場からご退場いただくことを願う。


つまり、もうエロ画像や死体写真には飽きたということだ。
やはりこれからは紙芝居だろう。
絵が動かないし、リアルじゃない分だけ妄想にも深みが出る。
危険度も高いが、刺激も強い。
自転車に乗ったおっさんが、荷台にエロ紙芝居や死体紙芝居を積んで公園をひっそり回る時代が間も無くやってくる。