新潟に行き、越後妻有アートトリエンナーレを見学。
知り合いの作品を含め、時間が許す限り見て回ったのだが、これだけ広大なエリアに散在していると、さすがに半日では全体の10分の1ほどしか見ることができない。
地図を片手にウロウロしては作品を探し当てるというオリエンテーリング的な楽しみ方があるのだろうが、目的からズレながら進むことを身上とするオレとしては、あまり馴染めない形式である。
それでも目当てのボルタンスキーの作品だけは頑張って探し当てた。
廃校になった小学校をホラー映画の舞台にしてしまうという、実に皮肉のきいたイヤらしい作品である。
気を遣わないバカおやじっぷりに拍手を送りたい。
田舎のアートフェスティバルのご多分に漏れず、他の作品の多くが地元の人々と協力して創られていたり、自然の美しさを活かそうとするものばかりだったから、その中にあってこのフランス人のオッサンの妄想力は突出している。
舞台にされた当校のOBやOGをはじめ地元の人はさぞかし嫌な気分になっただろうと思いきや、「きれいねぇ」などと言ってなかなか喜んでいる様子である。
アートなんてそんなもんだろう。
人に気を遣わず、己の妄想を頼りに突き進んだ結果、その先に不思議と美しいものが生まれる。
逆に地域の人と協力し合って作ったものは、たいていの場合美しくなく、何かを成し遂げたという自己満足が残るだけだ。
自然や環境に気を遣ったものも同様で、むしろ自然を塗り替えるくらいの心意気を持ったバカ者が創った作品のほうがいい。


アート三昧の満腹感よりも実際の空腹感が勝ったので、この地の名物「へぎそば」を食べてから帰路に着く。
しかし、名物に美味いものはないとのお約束どおり、決して美味いものではない。
本舗を名乗る店の商売っ気が質を落としたのか、はたまた布のりをつなぎに使うという曖昧な選択がそもそもの間違いだったのか、蕎麦の命ともいえる歯ごたえと喉ごしが、どこか他所からの借り物のようで落ち着かない。
蕎麦屋に入る前に見たジェームズ・タレルの作品がパッとしなかったこともあり、どことなく釈然としない思いのまま高速に乗り東京へと向かう。
そのまま真っ直ぐ帰るつもりだったが、高崎から先が渋滞と聞き、伊香保で降りて温泉に寄り、少しばかり時間を潰すことにした。
湯上りに軽くビールを飲み、ハリーポッターの映画を大音量で流し続ける休憩室で仮眠をとる。
道が空いたころを見計らって再び高速に乗ると、あっという間に練馬のインターに着いた。
運転した気がしないのだが、きっと酔っ払って居眠り運転をしていたのだろう。