飲み会と死/オノテツ

5時半就寝、11時起床。
昼間に友人の結婚式に出席し、夜はカンガワさんを追悼する飲み会に参加する。
どちらも会場からはみ出すほど大勢の人が集まり、人望の厚さを物語っていた。
追悼飲み会については、コジマくんもどういう形でやるか悩んだことと思うが、行きつけの飲み屋でいっさいのイベント性を排し、純粋な飲み会として執り行われたのは、それがカンガワさんを送るにふさわしく、また実にコジマくんらしいやり方だったと思われ、加えて三本の男根を同時に拝むという幸運にも恵まれたものだから、普通の飲み会であるにも関わらず、間違いなく忘れられない会の一つとなった。
カンガワさんの作品も歌詞も、すべてが日常とつながっていて、そのくせ彼女のフィルターを通した途端に非日常的な輝きを持つ。
夕べの飲み会も、いわばそんな感じの会だったのだが、とはいえどこからどう見ても普通の飲み会だから、きっとオレが勝手な思いを投影しているだけのことなのだろう。
そうやって勝手な思い入れを許してもらえるのも、限りなく普通だったおかげだ。
そもそも飲んでいる最中にはそんなことを考える暇もなく、飛来する口角泡を巧みに避けながら、隙を突いて串焼きに手を伸ばすことに専念するのみである。
そして、いつものように人の話を聞いているようで聞いておらず、またそう見せかけておいてホントは聞いていたりと、酔っ払い同士の駆け引きの醍醐味を味わっていた。
ただ、年とともに聞いた話を忘れるのが早くなったのは確かだ。
でも、話すほうも何を話したか忘れるのが早くなったから、おあいこだろう。


それにしても、結婚して人生の墓場に入る人と、ホンモノの墓に入ってしまった人、年をとるに連れ周りは墓場だらけになっていく。
オレ自身もだいぶ墓場に近づきつつあると感じるが、率先して墓に入る気はないものの、とりたてて抵抗するつもりもない。
うちの墓は鎌倉の山の一角を占める大霊園にある。
山の頂にはツツミ一族の巨大な墓があり、Sグループの社員が交代で日参していると聞く。
単なるウワサかもしれないが、もしホントに仕事として墓参りに行かなければならないなら、ちょっと可哀相な話だと思う。
人の死を特別なものにまつり上げ、しかもそれを仕事上契約関係にあるだけのあかの他人にまで押し付けるというやり方は、あまり好きではない。
もしオレが大会社の社長だったら、死んだ後にはせいぜい年に一度くらい普通の飲み会を開いてもらい、オレの話などせずに、どうでもいい痴話話に明け暮れてもらえればと思う。
などと言うのはちょっとカッコ良すぎるから、案外モノリスのごとき立派な墓をオッタテて、毎日拝みに来いと遺言するかもしれない。
でも、それはあくまでも照れ隠しだから、そのときは痴話話でもしながら気軽に墓参りに来て、黒光りする塔に触れては新たな生き物へと進化を遂げていただきたい。


ちなみに今夜、照れを隠さずに露出された三本の男根は、いずれもオッタテられてはいなかったから安心して笑えた。
そこのところの違いには、単なる角度の違いという物理的な差を越えて、大きな意味上の差異が含まれていると感じる。
死に関する儀礼とともに、人間の根源に触れるような触れないような、あるいは文字通り、オトコの根源に関わるような関わらないようなやっかいな話だから、今夜はそのことは深く考えずにやり過ごそうと思う。
ただ、アレが夢枕に現われないことを祈る。