作法/コジマ

子供の頃から春恒例の行事と言えば、やはりツクシ摘みである。
東日本の方ではあまり馴染みが無いらしいが(関東や東北の人と話して「一度も食べたことがない」という反応が多くて驚いた。昨日も摘んでいたら、川崎から来たというオッサンに同じ事を言われた。我が郷里では、シーズン中は下処理したものをスーパーでも売っている程ポピュラーな食材である)うちの実家では、子供の頃は春先になると必ず河原に連れて行かれて摘んだものだ。
流石に思春期を迎えた頃には「うぜえよ」等と言って付き合わなくなったが、上京してからはまた摘むようになった。貧乏だからである。


ところで、ツクシ摘みには作法がある。


1.河原や造成地など、日当たりが良くて下草が密生していない空き地を探す。前年にスギナが生い茂っていたところに目を付けておくのも良い。


2.発見したら根本から摘む。穂先が開いていない方が、苦みがあって美味い。


3.有る程度摘んだら、自分が摘んだ後を振り返ってみる。ツクシと言う奴は、角度によって見えなかったりするので、けっこう摘み残しがあるのだ。


4.調子に乗って大量に摘み過ぎ、ハカマを剥く段階で嫌になってうんざりし、もう来年は摘むものかと後悔する。


これが正しい作法である。
特に大事なのが4だ。「適量摘めばいいじゃん」等と考えるのはチキン野郎である。
ビニール袋一杯摘んで、指先も折れよとばかりにハカマ取りに励む。半泣きになる。これが正統派のツクシ摘みである。


今年も、大量に採った。
そして、夕べはハカマ取りに3時間掛かって、すっかり消耗してしまった。
もう来年は摘むものか、と思う。去年もそう思ったのだが。


こうして苦労して下処理したツクシだが、実はそんなに馬鹿美味いものでも無い。この徒労感も又、ツクシ摘みの醍醐味だ。
だが、キンピラなどにすると、微妙な苦みが日本酒と滅法合うのも確かである。
いわゆる珍味の類と言えない事もない。