寝言/オノテツ

時差ぼけで、電車で移動している最中や食事中など、ちょっとした合間にすぐ眠ってしまう。
時差ぼけとはいえ外国に行ったわけではなく、ずっと日本国内にいて、しかも東京都内に居続けて仕事をしているだけだから、正確に言うと時差はない。
オレが勝手に世の中の時間の流れからはみ出して、わざわざ時差ぼけと同じ状況を作り出しているのだ。
昼間ふらふらと仕事に出かけ、帰ってくるとまた同じように真昼間で、ふりかかる陽射しをカーテンで遮りベッドにもぐりこむ。
そんな日々が続くと、今が何日で何曜日なのか、だんだん頭の中が混乱してくる。
一方、カラダはカラダで今が昼なのか夜なのか、起きるべきか寝るべきか判断がつかなくなっているらしい。
だからこうして時差ぼけと同じ症状が起きるわけで、今さっき起きたばかりというのにもう眠たい。


曜日や日にちは概念に過ぎないから、誰かに尋ねれば教えてくれる。
しかし、誰かに朝か昼かを尋ねたところで時差ぼけは治らない。
毎日決まった時間に起き、決まった時間に眠り、生活のリズムを取り戻さないと治らないものである。
が、それで治るのはあくまでも時差ぼけであって、こちらはそもそも時差がない時差ぼけだから、言うならばただのボケだ。
ボケを治すには、生まれ変わるしか道がない。
生まれ変わるとしたらオトコとオンナ、どちらがいいか?
そんな質問をしばしば受けるが、もちろんオトコもオンナも概念に過ぎず、答えたからといってボケが治るわけではない。
だいいちオレは生まれ変わったらシダ植物になりたいと思っているから、オトコもオンナも関係ないのである。
オトコもオンナも関係ない世界で、色ボケした頭を冷やしてイチから出直す。
どうせ生まれ変わるなら、出家をするような覚悟が必要ということだ。


そんな戯けたことを夢想しながら、朝の陽射しに包まれた中央線の生暖かいシートに腰掛けウトウトしていると、通勤快速でもないのに中野の次がもう荻窪である。
次の駅が西荻になるか吉祥寺になるか、はたまた立川になるかはオレの寝ぼけ方次第で決まる。
駅と同じように、寝ぼけているうちに日にちも何もかもがすっ飛ばされて、早く春になってくれればいいのにと思う。
そうすれば、陽気に誘われて皆がボケはじめることだろう。
世の中がオレのボケに追いつけば、もはやボケを治す必要もなくなるのだ。