物語について/オノテツ

8時就寝、14時起床。
本日締め切りの仕事があったので、まずはそれを片付けてから校正の現場に向かう。


仕事柄、アマチュア作家のファンタジー小説を読む機会が少なくないのだが、大半はファンタジックな要素には事欠かないものの、明確な物語が見出せず、場当たり的な展開に終始して読むのが辛い。
おそらく思いついたことをそのまますべて書いているのだろう。
1000枚、2000枚と分量ばかり増えて、読み終えた後には心に残らないという作品がほとんどである。
そこでいきなりサッカーの話で恐縮だが、ジーコという人は現役時代こそ人並みはずれたファンタジーを体現する名選手だったが、監督としては若干物語性に欠けているのかもしれないと感じた。
仕事のせいで未だに日本の試合を見ていないから確かなことは言えないが、オーストラリアを率いるヒディングが演出家のごとく振舞っているのと比べて、ずいぶんあっさりしているというか、物足りない印象が残る。
ヒディングは派手な攻撃サッカーで実力以上のものを引き出してしまう策士だが、今回はケーヒルアロイージという攻撃の中心選手をスタメンから外し、ここぞというときに投入するという手段に出た。
頼りになる選手が一番つらい時間帯に生き生きとした状態で入ってくると、疲れている選手たちはもちろん、客も大いに盛り上がるし、逆に敵にとってはこれほどイヤなことはない。
ヒディングには90分の物語が明確に描けているのだろう。
もちろん、それを可能にする選手層の厚さも大切な要素だが、何より肝心なのはクライマックスをどこにどのように設定するかということだ。
前回大会で韓国をベスト4まで導いたときもそうだが、オランダの工場長のような風貌のオッサンは、ああ見えても演出のツボを外さない。